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ミハイール・バフチーン 『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネッサンスの民衆文化』 川端香男里 訳

「道化において、帝王のあらゆる属性は裏返しにされ、上のものが下におかれる。道化は《あべこべの世界》の王なのである。」
(ミハイール・バフチーン 『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネッサンスの民衆文化』 より) 


ミハイール・バフチーン 
『フランソワ・ラブレーの作品と
中世・ルネッサンスの民衆文化』 
川端香男里 訳
 


せりか書房 
1973年1月15日 第1刷発行 
1990年7月30日 第5刷発行 
419p 基本用語表2p 索引xiii 
口絵図版(モノクロ)8p 
A5判 丸背布装上製本 カバー 
定価6,695円(本体6,500円) 
装幀: 平野甲賀
 


本書「凡例」より: 

「本書はМихаил Михаилович Бахтин: Творчество Франсуа Рабле и народная культура средневековья и Ренессанса (Москва 1965)〔フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネッサンスの民衆文化〕の全訳である。」
「バフチーンの基本的用語の若干については、特殊な用例のため辞書的解釈と異なる場合もあるので、巻末に原語との対照表をかかげた。」
「図版は原書にはないが、編集者諸氏の強い要望もあり、本書の理解に役立たせるべく訳者の選択によって附けた。」



口絵図版(モノクロ)15点。







目次: 

凡例 

序論――問題の設定 
Ⅰ 笑いの歴史におけるラブレー 
Ⅱ ラブレーの小説における広場の卑語 
Ⅲ ラブレーの小説における民衆的・祝祭的形式とイメージ 
Ⅳ ラブレーにおける饗宴のイメージ 
Ⅴ ラブレーにおけるグロテスクな肉体のイメージとその源泉 
Ⅵ ラブレーの小説における物質的・肉体的下層のイメージ 
Ⅶ ラブレーのイメージと同時代の現実 

再版によせて――訳者あとがき (1980年6月)

索引 用語表
 



◆本書より◆ 


「序論――問題の設定」より:

「ラブレーのイメージは、未来を並はずれてたっぷりとはらんでいるが、それはまさにラブレーのイメージすべてにある特殊な、いわば根源的な民衆性のためなのであって、(中略)またこの民衆性によってこそ、ラブレーの特殊な《非文学性》の説明がつく――この非文学性とはつまり、内容が時代によって変ってはいるが常に支配的であった文学性の規範や規準と、ラブレーのイメージが合致しないということなのである。ラブレーはシェイクスピアやセルバンテスとはくらべものにならないほど、文学規範からはずれてしまっている。この二人の作家がはずれているとしても、それは単に比較的偏狭な古典主義的規範からのずれなのである。ラブレーのイメージに固有なものは、ある特殊な、根本的な、打ち破り難い《非公式性》である。どんな独断論も、どんな権威(引用者注:「権威」に傍点)のおしつけも、一方に偏した生真面目な厳粛ぶりも、ラブレー的イメージとは共存し得ない。それはすべて不変なるもの、完成せるもの、すべての偏狭な生真面目さに敵対し、思想や世界観の領域で、出来合いのものに満足し物事を決めてかかるあらゆる態度に敵対するのである。」
「ラブレーが過去四世紀の歴史の《大文学》の代表者たちの中にあってきわめて孤独で、相似たものが一人としていないように見えるとしても、民間伝承の背景が正しく解明されてくれば、反対に、むしろ過去四世紀の文学発展の方が何か特殊で、他に似たものがないもののように見えてくるだろう。」
「ラブレーは世界の文学のあらゆる文豪の中で最も難解である。彼を理解するためには、すべての芸術的、イデオロギー的感得力を本質的に再構築せねばならないし、文学的趣味が要求するもの(それは深く根を張っているものだが)の多くを棄て去ることができなければならず、多くの概念を再検討しなければならないからである。しかし最も大切なことは、ラブレーを理解するには民衆の笑いの伝承という、わずかに表面的にしか研究されていない領域に深くはいりこまねばならぬということである。」
「この民衆的な笑いの文化のあらゆる多様な表現や発現は、その性格によって三つの基本的な形式に区分できる。
 1 儀式的・見世物的形式(カーニバル・タイプの祝祭、様々の広場の笑劇等々。) 
 2 滑稽な文学的作品(パロディ的作品も含まれる)これには様々な種類がある――口承文学、文学に定着されたもの、ラテン語のもの、俗語のものがある。
 3 様々の形式やジャンルの無遠慮で粗野な広場の言葉。(罵言、誓詞、呪い、民衆的な誇示宣揚(ブラゾン)(blasons あるいは livres d'emblés、〈賦〉は文芸ジャンルの一つでいろいろと数えあげて歌う形式で十六世紀に大変流行した。)等々。) 
 これらの三つの形式はいずれも――種を異にしてはいるが――世界に対する統一された滑稽像、笑いの立場を反映しており、緊密に結びつき、様々に交互にからみ合っているのである。」

「カーニバル型の祝祭や、それと結びついた滑稽な劇や儀式は中世の人々の生活に大きな場所を占めていた。本来のカーニバルには何日も続く錯綜した広場や往来での見世物や行列があるが、その他に特別な《愚者(フール)の祭り》(《festa stultorum》)(フールにはもちろん道化の意もある)や《ろばの祭り》が催おされ、特殊な、伝統的となった、自由な《復活祭の笑い》(《risus paschalis》)があった。sらに、ほとんどすべての教会祝日はそれ自身の、やはり伝統的となっている民衆的・広場的笑いの側面を持っていたのである。そのようなものとしていわゆる《寺院の例大祭》があり、通例、豊富で多様な一連の《広場的》娯楽のある市(いち)がつきものであった。(これには大男、侏儒(こびと)、片輪、《芸を仕込んだ》動物が加わるのだった。)聖史劇(ミステール)や茶番劇(ソテー)上演の日にはカーニバル的雰囲気が強まった。ぶどう収穫祭(vendange)のような農業祭も都会にはいりこんで来て、そのような時にもこの雰囲気があたりを支配するのであった。市民の日常の儀式や礼式にも笑いが通例つきものとなっていた。道化師、道化役者がこれらの儀式にはいつも加わり、厳粛な式次第の様々な要素(競技の勝者の称讃、封土権下賜の儀式、騎士叙任等々)をパロディ的に模倣して見せた。それに日頃行われるささやかな祝祭にも、たとえば祝祭の間だけ《笑いのための》王様や女王(《roi pour rire》)を選び出すというように、笑いを組織するものが必ずあった。」
笑いの原理によって組織された、この儀式的・見世物的諸形式はすべて、きわめて鋭く根本的とも言えるほど(中略)、公式的な――教会、封建領主、国家の礼拝や儀式の形式と区別される。これらのものは世界、人間、人間関係について、まったく別種の、アンダーラインつきの非公式、教会外、国家外的見地(アスペクト)を提供する。言わば、すべて公式的なるものの向こう側に第二の世界第二の生活を打ち立てていたのであって、(中略)このことを考慮にいれなければ中世の文化意識も、ルネッサンスの文化も正当に理解することはできない。」

「カーニバルは、全世界的性格を有する。全世界の特殊な状態、世界の復活と更新であって、すべての人がそれに加わるのである。このようなものがカーニバルのイデーであり、本質であって、それに加わる者すべてにこのことが生き生きと感じられていたのである。このカーニバルのイデーが最もはっきりと現われ、意識されたのはローマの農神祭(サートゥルナーリア)であって、(一時的ではあるが)実際の完全なサートゥルヌスの黄金時代の地上への回帰であると考えられた。農神祭(サートゥルナーリア)の伝統は中世のカーニバルでも途切れることなく生き続けた。中世のカーニバルは中世の他の祝祭よりもより完全に純粋に、全世界的な再生というこのイデーを体現していたのである。」

「公式の祝祭に対立しつつ、カーニバルは広く世を支配している真理と現存社会機構からの一時的解放や、階層秩序・関係、特権、規範、禁止などの一時的破棄を祝うものであると言えよう。カーニバルは〈時〉の真の祝祭であり、生成、交替、改新の祭りであった。」
「カーニバルが行われている時の、すべての階層秩序的関係の廃棄は、特に重要な意味を持っていた。公式の祝祭では、階層秩序的差別が特に強調して示された。その際には、自分の称号、官位、功績を表象するすべての飾りを身につけて出席し、自分の階級にふさわしい位置につくことが要請された。祝祭は不平等を神聖化した。これと反対に、カーニバルでは一切が平等とみなされた。」
「人々の階層秩序的関係が、理念においても現実的にも、一時的に廃止されて、カーニバルの広場には、通常の生活では不可能な特殊な交際の型が創造された。ここで広場の言葉(レーチ)、広場の身振り(ジェスチュア)といった特別の形式が出来上ったのであるが、それはあからさまで自由であり、共に関わりを持つ人々の間にいかなる分けへだても認めず、通常の(カーニバル外の)礼儀や作法の規範から自由である。」
「中世のカーニバルは何世紀にもわたって発展したが、それはそれ以前の何千年にもわたって発展した古代の笑いの儀式(古代的形式における農神祭(サートゥルナーリア)も含めて)によってあらかじめ用意されていたのである。その過程においていわば特異なカーニバル的形式と象徴の言語、民衆の単一にして複雑なカーニバルの世界感覚を表現し得る、極めて豊かな言語が出来上ったのである。この世界感覚は、すべて既成の完成されたものに反対し、(中略)自分の気分を表現するためのダイナミックで変り易い(《プローテウス的な》)形式、ゆらゆらと揺れ動く遊戯的な形式を求めたのであった。カーニバルの言語のすべての形式・象徴には、変化・交替と改新の感激(パトス)がみなぎり、あまねく支配している真理や権威がおかしく相対的なものであるとの認識がある。この言語に極めて特徴的なのは、独特の《裏側〉(à l'envers)《あべこべ》、《裏返し》の論理、上と下(《車の輪》のように)、正面と背面の間の絶えざる変転の論理であり、さまざまな形のパロディ、もじり、そして、冒瀆、道化的な戴冠や奪冠である。」



「Ⅵ ラブレーの小説における物質的・肉体的下層のイメージ」より: 

「皆様方の哲人たちは、一切の事象は昔(いにしえ)の人々によって記し留められており、新しきものを発明する余地がまったく残されていないと慨いていらっしゃいますが、これは、明々白々たる誤謬(あやまり)でございます。各々方が天空にお認めになるもの、即ち、星辰現象と呼ばれるのも、大地が御覧に供するのも、海原や諸々の河川に収められたるのも、地中深く秘められましたるものには比すべきではございませぬ。――ラブレー」
「本章の銘句(エピグラフ)として、『第五之書』〔第四十九章〕から選び出して来た文章は、おそらく、ラブレー自身の筆になるものではない。しかしこの文章は(中略)、ラブレーの小説のみならず、ルネッサンスやそれ以前の時代と類縁性を持つ多くの例にとっては、並はずれて表現性豊かで教えるところが多い文章である。この徳利明神の女祭司の語る言葉においては、関心の中心が、下層、奥深い所、地中深くに移されている。新しいもの、地中深くに隠されている富は、天空や、地表や、海、河川にあるすべてのものにまさる。真の富、豊かさは上層にも中間領域にもなくて、ただ下層にのみある。
 女祭司のここで引用した言葉の前には次の言葉が発せられている――
 《妾(わらわ)どもが神と呼びおあります、この理念の球体世界の御庇護の下に、幸(さき)く往(い)ませ。この世界の中心は、あらゆるところにございますが、その周囲は、いずこにもござりませぬ。そして皆々様方の世界へ戻られましたならば、地下には、珍らかな宝物、讃歎すべきものが秘められたるを証(あかし)立てて下さりませ。》」
「ここに引用した有名な神の定義《その中心はあらゆるところにあるが、その周囲はいずこにもない》は、ラブレー自身の創作ではなく、『ヘルメス・トリスメギストゥス』からの借用であって、(中略)ラブレーの時代にはこの定義がよく援用されたものであった。ラブレーにしても、『第五之書』の作者にしても、この時代の大部分の人々はこの定義にまず第一に宇宙の地方分権とも言うべきものを見出したのである。宇宙の中心が天空にはなく、いたるところにある。すべての場所が平等なのである。この新しい見方はこの場合、今引用した部分の作者に宇宙の相対的中心を天空から地獄へ、つまり中世的観点からすれば最大限に神から遠ざけられている場所――地獄――へと移すことを可能にさせたのである。」
「下層に向かう力強い動き――地の奥深く、人間の肉体の深奥へ向かう動き――はラブレーの世界に初めから終りまで完全に浸透している。」
「この下層への運動は、民衆的・祝祭的娯楽やグロテスク・リアリズムの様々な形式やイメージの中に振りまかれているのであるが、ラブレーによってふたたび取りまとめられ、新たな意義を賦与されて、大地の深部や肉体の奥に向かう単一の動きの中に合流させられる。この奥深いところにこそ《大いなる財宝や古代の哲人たちもまた描き出したことのないような新奇なものが隠されているのである》。」

「物質的・肉体的下層は生産的である。下層は生み出し、そのことによって人類の歴史的相対的不死を保証する。」

「フォークロア的観念では、地の奥深い下層は、呑みこむと同時に生み出す母の胎内のように考えられ(中略)るのである。」
「キリスト教によって悪魔におとされてしまった古代神話の神々や、中世にも頑強に生き続けたローマの農神祭(サートゥルナーリア)のイメージは、正統的なキリスト教意識によって冥界へ投げ落とされ、冥界へそのサートゥルナーリア的精神を持ちこんだのである。」

「民衆文化は自分流に冥界のイメージを組み立てた(中略)。キリスト教的冥界が大地の価値を低く見て、大地から人を引き離したのに対し、カーニバル的冥界は、死と誕生が出会い、古きものの死から新しき生が生まれる豊穣な母胎として、大地と下層を確認したのである。」

「『パンタグリュエル・第二之書』の最終章から、ラブレーが主人公の司祭(プレートル)ジャン(プレスター・ジョン)の伝説的な国(インドにあるとされていた)への旅行と、それから地獄への旅を書こうとしていたことがわかる。このテーマは決して思いがけないものではない。『パンタグリュエル』の主導的イメージが、大きく開けた口であることを思い起こそう。この大きく開けた口は、つまるところ中世の聖史劇の舞台の gueule d'enfer 〔地獄の口〕と同じものである。ラブレーの全イメージには下層(大地の下層と肉体の下層)への動きが浸み通っていて、これらが冥界へと導いて行くのである。」
「民衆喜劇の登場人物たちもやはりしばしば、地獄、冥界へ降りて行く。アルルカン(アルレッキーノ)も地獄に降りたのだが、彼もまたパンタグリュエルと同じように、文学に登場してくる前は悪魔だったのである。」
「地獄においてアルルカンは宙返りをし、ありとあらゆる跳躍を演じてみせ、後ろに歩いてみせ、舌を出してみせる等々――彼はカロンを笑わせ、プルートーン自身をも笑わせる。」
「冥界へ降りて行くというテーマは implicite 〔暗々裡〕に、最も単純な宙返りの動作のうちに含まれているのである。それゆえ民衆喜劇の登場人物は冥界へ降りて行こうとするのである。」
「ラブレーの小説のプランによれば、パンタグリュエルの冥界への道は、通例インドにあるとされていた司祭(プレートル)ジャンの国にあった。伝説によればインドに冥界と地上楽園への入口があることになっていたことをわれわれはすでに知っている。(中略)しかしパンタグリュエルがインドに行くために取る道は、極西に至る道であって、この極西の地には常に《死の国》、つまり冥界があると仮定されていた。」
「フランソワ一世は一五二三―二四年にイタリア人、ヴェラッツァーノを中央アメリカに派遣し、シナやインドに至る距離を短縮できるような海峡を発見しようとした。」
「ヴェラッツァーノは中央アメリカに海峡を発見できなかった。それでラブレーの同時代人である有名なジャック・カルチエが、海峡探索の新しい道を北極地方の国々に向けようという新しい案を提起した。」
「しかしジャック・カルチエの選んだ、実際に北西に向かう道は、同時に、有名な冥界や楽園に向かうケルト伝説の道なのであった。この北西の道は古代ケルト伝説に包まれることになった。アイルランドの北西では、大洋は神秘に満ちていた。そこでは波のうなりの中に死者の声や呻きを聞くことができたし、インドの奇蹟にも似たありとあらゆる奇蹟を秘めた島々がそこには散在していた。冥界への道についてのこのケルトの伝説圏に属するものとして、先に挙げた《聖パトリックの洞穴》につながる伝説がある。(中略)それに、プルータルコスの物語るところでは、北西の島々の一つに、つまりアイルランドの海に、ブリアレオースに守られたサートゥルヌスが住んでいるという。
 ここでは、疑いもなくパンタグリュエルの旅(つまり『第四之書』)に影響を与えたと思われるケルト伝説圏の一つ――聖ブレンダンの遍歴の伝説を取り上げよう。これはキリスト教化された形を持つ古代アイルランド神話である。十世紀に『聖ブレンダンの航海』(《Navigatio sancti Brendani》)が書かれ、中世ヨーロッパのすべての国で大量に流布され、翻訳されて散文の版も、詩で書かれた版も出廻った。その中で最も注目すべき完成された作品は、一一二五年修道僧ブノワ(Benoit)によって書かれたアングロ・ノルマン詩である。その内容は以下の通りである―― 
 聖ブレンダンは、自分の修道院の十七人の修道僧を伴なって、アイルランドを出発し、北西の方角に楽園を求めて、北極地方へと上って行った(パンタグリュエルの行程である)。この旅は七年間かかった。聖ブレンダンは島から島へと渡り(パンタグリュエルのように)、そのたびに常に新しい驚くべき事物を発見するのであった。ある島では鹿の大きさの白い羊が住んでいた。またある島では、赤い葉を持つ巨大な木々の上に、神を讃える歌を歌う白い鳥が住んでいた。また別の島の上には大いなる沈黙が支配していた。勤行の時間にはランプがおのずと燃え始めるのだった(この《沈黙の島》の老人は、ラブレーの老いた長命(マクロブ)氏をすぐさま思い起こさせる)。航海者たちは復活祭を鮫の背で過ごさなければならなくなる(ラブレーの場合は、《フィズテール》、つまり鯨のエピソードがある)。彼らは龍とグリュプス(グリフォン)の戦いに出くわし、海蛇その他の海の怪物を見る。彼らはその敬神の徳により、これらすべての危険を克服するのである。彼らはまた、大海の中からサファイア色の柱の上にのった豪華な祭壇が立ちのぼってくるのを見る。彼らは地獄の穴のそばを通過するが、その穴からは炎が立ちのぼっている。この地獄の口のすぐそばに、小さい岩の上に波しぶき荒れ狂う中にユダがいるのが見える。祝祭日にユダはここで地獄の呵責を免れて休息しているのである。ついに彼らは、高価なる宝石の壁で囲まれた楽園の戸口に達するのであった。そこには黄玉(トパーズ)、紫水晶(アメチスト)、琥珀、縞めのう(オニックス)が輝やいている。神の御使が彼らに楽園訪問を許す。楽園で彼らはすばらしい草地、花、実もたわわな木々を見出す。いたるところに芳香がただよい、森は愛らしいよくなつく動物で満ちている。ここには乳の川が流れ、露は蜜である。ここには暑さも寒さもなく、飢えも悲しみもない。以上がブノワ改作による聖ブレンダン伝説である。」「民衆的観念はこの伝説ではまだ力強く、この伝説の魅力を創り出している。楽園は物質的・肉体的豊饒と平和の民衆的・ユートピア的王国となっており、サートゥルヌスの黄金時代となっている。ここには戦争も、争いも、苦悩もなく、物質的・肉体的豊饒あふれる豊かさが支配している。アイルランドの海上の島にプルータルコスが、サートゥルヌスの居所を置いたのもむべなるかなである。かくして、この敬虔な詩の中にも、(中略)決して死に絶えることのないサ-トゥルナーリアのモチーフがありありと響いているのである。」







こちらもご参照ください: 

郡司正勝 『かぶき袋』
ルドルフ・ベルヌーリ/種村季弘 訳論 『錬金術とタロット』 (河出文庫)
湯浅泰雄 『ユングとキリスト教』 (講談社学術文庫)





































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折口信夫 『死者の書・身毒丸』 中公文庫

「世の中になし遂げられぬものゝあると言ふことを、あて人は知らぬのであつた。」
「思ひつめてまどろんでゐる中に、郎女の智慧が、一つの閾を越えたのである。」

(折口信夫 『死者の書』 より) 


折口信夫 
『死者の書・身毒丸』
 
中公文庫 お-41-2 


中央公論新社 
1974年5月10日 初版発行 
1999年6月18日 改版発行 
2008年12月20日 改版11刷発行 
223p 
文庫判 並装 カバー 
定価590円+税 
カバー写真: 「大津皇子の眠る二上山」(入江泰吉/奈良市写真美術館) 



新字・旧かな。本文中に図版(モノクロ)5点。
中公文庫版初版は『死者の書』と「山越しの阿弥陀像の画因」を収録、川村二郎の解説が付されていましたが、改版では「身毒丸」が追加され、川村二郎の解説も新しく書き下ろされています。図版も増補され、文字も大きくなっていてよみやすいです。

「死者の書」は要するに「大津皇子」と「南家郎女」の時を隔てたグノーシス主義的ラブストーリーであって、現世的な時間を無にして永遠の時間に入ることによって成就されますが、折口信夫は、「孤児」的存在の、現世のものではない、なつかしい何者かへの「恋」(乞い)にこそ、「信仰」の起源を見ていたのではなかろうか。







カバー裏文: 

「古墳の闇から復活した大津皇子の魂と藤原の郎女との交感。古代への憧憬を啓示して近代日本文学に最高の金字塔を樹立した「死者の書」、その創作契機を語る「山越しの阿弥陀像の画因」、さらに、高安長者伝説をもとに“伝説の表現形式として小説の形”で物語ったという「身毒丸(しんとくまる)」を加えた新編集版。」


目次: 

死者の書 
山越しの阿弥陀像の画因 
身毒丸 

解説 (川村二郎)
 



◆本書より◆ 


「死者の書」より: 

「記憶の裏から、反省に似たものが浮び出て来た。
 おれは、このおれは、何処に居るのだ。……それから、こゝは何処なのだ。其よりも第一、此おれは誰(ダレ)なのだ。其をすつかり、おれは忘れた。」
 「をゝさうだ。伊勢の国に居られる貴い巫女(ミコ)――おれの姉御(ゴ)。あのお人が、おれを呼び活けに来てゐる。
 姉御。こゝだ。でもおまへさまは、尊い御(オン)神に仕へてゐる人だ。おれのからだに、触(サハ)つてはならない。そこに居るのだ。ぢつとそこに、蹈み止(トマ)つて居るのだ。――あゝおれは、死んでゐる。死んだ。殺されたのだ。――忘れて居た。さうだ。此は、おれの墓だ。
 いけない。そこを開(ア)けては。塚の通ひ路の、扉をこじるのはおよし。……よせ。よさないか。姉の馬鹿。
 なあんだ。誰も、来ては居なかつたのだな。あゝよかつた。おれのからだが、天日(テンポ)に暴(サラ)されて、見る/\、腐るところだつた。だが、をかしいぞ。かうつと――あれは昔だ。あのこじあける音がするのも、昔だ。姉御の声で、塚道の扉を叩きながら、言つて居たのも今(インマ)の事――だつたと思ふのだが。昔だ。」
  「うつそみの人なる我や。明日よりは、二上(フタカミ)山を愛兄弟(イロセ)と思はむ 
 誄歌(ナキウタ)が聞えて来たのだ。姉御があきらめないで、も一つつぎ足して、歌つてくれたのだ。其で知つたのは、おれの墓と言ふものが、二上山の上にある、と言ふことだ。
 よい姉御だつた。併し、其歌の後で、又おれは、何もわからぬものになつてしまつた。
 其から、どれほどたつたのかなあ。どうもよつぽど、長い間だつた気がする。(中略)あの音がしてる。昔の音が――。」
 「……其にしても一体、こゝに居るおれは、だれなのだ。だれの子なのだ。だれの夫(ツマ)なのだ。其をおれは、忘れてしまつてゐるのだ。」
 「大変だ。おれの著物は、もうすつかり朽つて居る。おれの褌(ハカマ)は、ほこりになつて飛んで行つた。どうしろ、と言ふのだ。此おれは、著物もなしに、寝て居るのだ。」
 「くれろ。おつかさま。著物がなくなつた。すつぱだかで出て来た赤ん坊になりたいぞ。赤ん坊だ。おれは。こんなに、寝床の上を這ひずり廻つてゐるのが、だれにも訣らぬのか。」

「こゝからは、北大和の平野は見えぬ。見えたところで、郎女(イラツメ)は、奈良の家を考へ浮べることも、しなかつたであらう。まして、家人たちが、神隠しに遭うた姫を、探しあぐんで居ようなどゝは、思ひもよらなかつたのである。唯うつとりと、塔の下(モト)から近々と仰ぐ、二上山の山肌に、現(ウツ)し世(ヨ)の目からは見えぬ姿を惟(オモ)ひ観(ミ)ようとして居るのであらう。」
 「そこにござるのは、どなたぞな。
岡の陰から、恐る/\頭をさし出して問うた一人の寺奴(ヤツコ)は、あるべからざる事を見た様に、自分自身を咎めるやうな声をかけた。女人の身として、這入ることの出来ぬ結界を犯してゐたのだつた。姫は答へよう、とはせなかつた。又答へようとしても、かう言ふ時に使ふ語には、馴れて居ぬ人であつた。」
「姫は唯、山を見てゐた。依然として山の底に、ある俤を観じ入つてゐるのである。寺奴(ヤツコ)は、二言(コト)とは問ひかけなかつた。一晩のさすらひでやつれては居ても、服装から見てすぐ、どうした身分の人か位の判断は、つかぬ筈はなかつた。又暫らくして、四五人の跫音が、びた/゛\と岡へ上つて来た。年のいつたのや、若い僧たちが、ばら/゛\と走つて、塔のやらひの外まで来た。
 こゝまで出て御座れ、そこは、男でも這入るところではない。女人(ニヨニン)は、とつとゝ出てお行きなされ。
姫は、やつと気がついた。さうして、人とあらそはぬ癖のつけられた貴族の家の子は、重い足を引きながら、竹垣の傍まで来た。
 見れば、奈良のお方さうなが、どうして、そんな処にいらつしやる。
 それに又、どうして、こゝまでお出でだつた。伴の人も連れずに――。
口々に問うた。男たちは、咎める口とは別に、心はめい/\、貴い女性をいたはる気持になつて居た。
 山ををがみに……。
まことに唯一詞(ヒトコト)。当(タウ)の姫すら思ひ設けなんだ詞(コトバ)が、匂ふが如く出た。貴族の家庭の語と、凡下(ボンゲ)の家々の語とは、すつかり変つて居た。だから言ひ方も、感じ方も、其うへ、語其ものさへ、郎女の語が、そつくり寺の所化輩(ハイ)には、通じよう筈がなかつた。
でも、其でよかつたのである。其でなくて、語の内容が、其まゝ受けとられようものなら、南家(ナンケ)の姫は、即座に気のふれた女、と思はれてしまつたであらう。」

「此時分になつて、奈良の家では、誰となく、こんな事を考へはじめてゐた。此はきつと、里方の女たちのよく(引用者注:「よく」に傍点)する、春の野遊びに出られたのだ。――何時からとも知らぬ、習(ナラハ)しである。春秋の、日と夜と平分(ヘイブン)する其頂上に当る日は、一日、日の影を逐うて歩く風が行はれて居た。どこまでもどこまでも、野の果て、山の末、海の渚まで、日を送つて行く女衆が多かつた。さうして、夜に入つてくた/\になつて、家路を戻る。此為来りを何時となく、女たちの咄すのを聞いて、姫が、女の行(ギヤウ)として、この野遊びをする気になられたのだ、と思つたのである。」

「万法蔵院は、実に寂(セキ)として居た。山風は物忘れした様に、鎮まつて居た。夕闇はそろ/\、かぶさつて来て居るのに、山裾のひらけた処を占めた寺庭は、白砂が、昼の明りに輝いてゐた。こゝからよく見える二上(フタカミ)の頂は、広く、赤々と夕映えてゐる。
姫は、(中略)何時かこゝまで来て居たのである。(中略)門の閾から、伸び上るやうにして、山の際(ハ)の空を見入つて居た。
暫らくおだやんで居た嵐が、又山に廻つたらしい。だが、寺は物音もない黄昏(タソガレ)だ。
男嶽(ヲノカミ)と女嶽(メノカミ)との間になだれをなした大きな曲線(タワ)が、又次第に両方へ聳(ソヽ)つて行つてゐる、此二つの峰の間(アヒダ)の広い空際(ソラギハ)。薄れかゝつた茜の雲が、急に輝き出して、白銀(ハクギン)の炎をあげて来る。山の間(マ)に充満して居た夕闇は、光りに照されて、紫だつて動きはじめた。さうして暫らくは、外に動くものゝのない明るさ。山の空は、唯白々として、照り出されて居た。
肌 肩 脇 胸 豊かな姿が、山の尾上(ヲノヘ)の松原の上に現れた。併し、俤に見つゞけた其顔ばかりは、ほの暗かつた。
 今すこし著(シル)く み姿顕したまへ――。
郎女の口よりも、皮膚をつんざいて、あげた叫びである。山腹の紫は、雲となつて靉(タナビ)き、次第々々に降(サガ)る様に見えた。
明るいのは、山際(ギハ)ばかりではなかつた。地上は、砂(イサゴ)の数もよまれるほどである。
しづかに しづかに雲はおりて来る。万法蔵院の香殿・講堂。塔婆・楼閣・山門・僧房・庫裡、悉く金に、朱に、青に、昼より著(イチジル)く見え、自(ミヅカ)ら光りを発して居た。
庭の砂の上にすれ/\に、雲は揺曳して、そこにあり/\と半身を顕した尊者の姿が、手にとる様に見えた。匂ひやかな笑みを含んだ顔が、はじめて、まともに郎女に向けられた。伏し目に半ば閉ぢられた目は、此時、姫を認めたやうに、清(スヾ)しく見ひらいた。軽くつぐんだ脣は、この女性(ニヨシヤウ)に向うて、物を告げてゞも居るやうに、ほぐれて見えた。
郎女は尊さに、目の低(タ)れて来る思ひがした。だが、此時を過してはと思ふ一心で、御(ミ)姿から、目をそらさなかつた。
あて人を讃へるものと、思ひこんだあの詞が、又心から迸り出た。 
 なも 阿弥陀ほとけ。あなたふと 阿弥陀ほとけ。
瞬間に明りが薄れて行つた。まのあたりに見える雲も、雲の上の尊者の姿も、ほの/゛\と暗くなり、段々に高く、又高く上つて行く。
姫が、目送する間もない程であつた。忽、二上山の山の端(ハ)に溶け入るやうに消えて、まつくらな空ばかりの、たなびく夜になつて居た。」

「あくる日、絵具(エノグ)の届けられた時、姫の声ははなやいで、興奮(ハヤ)りかに響いた。
女たちの噂した所の、袈裟で謂へば、五十条の大衣(ダイエ)とも言ふべき、藕糸(グウシ)の上帛の上に、郎女の目はぢつとすわつて居た。やがて筆は、愉しげにとり上げられた。線描(スミガ)きなしに、うちつけに絵具(エノグ)を塗り進めた。美しい彩画(タミヱ)は、七色八色の虹のやうに、郎女の目の前に輝き増して行く。
姫は、緑青を盛つて、層々うち重る楼閣伽藍の屋根を表した。数多い柱や、廊の立ち続く姿が、目赫(メカヾヤ)くばかり、朱で彩(タ)みあげられた。むら/\と靉くものは、紺青(コンジヤウ)の雲である。紫雲は一筋長くたなびいて、中央根本堂とも見える屋の上から、画(カ)きおろされた。雲の上には金泥(コンデイ)の光り輝く靄が、漂ひはじめた。姫の、命を搾るまでの念力が、筆のまゝに動いて居るのであらう。やがて金色(コンジキ)の雲気(ウンキ)は、次第に凝り成して、照り充ちた色身(シキシン)――現(ウツ)し世の人とも見えぬ尊い姿が顕れた。
郎女は唯、先(サキ)の日見た、万法蔵院の夕(ユフベ)の幻を、筆に追うて居るばかりである。堂・塔・伽藍すべては、当麻のみ寺のありの姿であつた。だが、彩画(タミヱ)の上に湧き上つた宮殿(クウデン)楼閣は、兜率天宮(トソツテングウ)のたゝずまひさながらであつた。しかも、其四十九重(シヂフクヂユウ)の宝宮の内院(ナイヰン)に現れた尊者の相好(サウガウ)は、あの夕、近々と目に見た俤びとの姿を、心に覓(ト)めて描き顕したばかりであつた。
刀自・若人たちは、一刻々々、時の移るのも知らず、身ゆるぎもせずに、姫の前に開かれて来る光りの霞に、唯見呆(ホヽ)けて居るばかりであつた。
郎女(イラツメ)が、筆をおいて、にこやかな笑(ヱマ)ひを、円(マロ)く跪坐(ツイヰ)る此人々の背におとしながら、のどかに併し、音もなく、山田の廬堂を立ち去つた刹那、心づく者は一人もなかつたのである。」

「姫の俤びとに貸す為の衣に描いた絵様(ヱヤウ)は、そのまゝ曼陀羅の相(スガタ)を具へて居たにしても、姫はその中に、唯一人の色身(シキシン)の幻を描いたに過ぎなかつた。併し、残された刀自・若人たちの、うち瞻(マモ)る画面には、見る/\、数千地涌(スセンヂユ)の菩薩の姿が、浮き出て来た。其は、幾人の人々が、同時に見た、白日夢(ハクジツム)のたぐひかも知れぬ。」



「山越しの阿弥陀像の画因」より: 

「四天王寺西門は、昔から謂はれてゐる、極楽東門に向つてゐるところで、彼岸の夕、西の方海遠く入る日を拝む人の群集(クンジユ)したこと、凡七百年ほどの歴史を経て、今も尚若干の人々は、淡路の島は愚か、海の波すら見えぬ、煤ふる西の宮に向つて、くるめき入る日を見送りに出る。此種の日想観なら、「弱法師」の上にも見えてゐた。舞台を何とも謂へぬ情趣に整へてゐると共に、梅の花咲き散る頃の優(イウ)なる季節感が靡きかゝつてゐる。
しかも尚、四天王寺には、古くは、日想観往生と謂はれる風習があつて、多くの篤信者の魂が、西方の波にあくがれて海深く沈んで行つたのであつた。熊野では、これと同じ事を、普陀落渡海と言うた。観音の浄土に往生する意味であつて、淼々たる海波を漕ぎゝつて到り著く、と信じてゐたのがあはれである。一族と別れて、南海に身を潜めた平維盛が最期も、此渡海の道であつたといふ。
日想観もやはり、其と同じ、必極楽東門に達するものと信じて、謂はゞ法悦からした入水死(ジユスヰシ)である。そこまで信仰におひつめられたと言ふよりも寧、自ら霊(タマ)のよるべをつきとめて、そこに立ち到つたのだと言ふ外はない。
さう言ふことが出来るほど、彼岸の中日は、まるで何かを思ひつめ、何かに誘(オビ)かれたやうになつて、大空の日(ヒ)を追うて歩いた人たちがあつたものである。」



「身毒丸」より: 

「身毒は、一夜睡ることが出来なかつたのである。今の間に見た夢は、昨夜の続きであつた。
高い山の間を上つてゐた。道が尽きてふりかへると、来た方は密生した林が塞いでゐる。更に高い峯が崩れかゝり相に、彼の前と両側に聳えてゐる。時間は朝とも思はれる。又日中の様にも考へられぬでもない。笹薮が深く茂つてゐて、近い処を見渡すことが出来ない。流れる水はないが、あたり一体にしとつてゐる。歩みを止めると、急に恐しい静けさが身に薄(セマ)つて来る。彼は耳もと迄来てゐる凄い沈黙から脱け出ようと唯むやみに音立てゝ笹の中をあるく。
一つの森に出た。確かに見覚えのある森である。この山口にかゝつた時に、おつかなびつくりであるいてゐたのは、此道であつた。けれども山だけが、依然として囲んでゐる。後戻りをするのだと思ひながら行くと、一つの土居に行きあたつた。其について廻ると、柴折門があつた。人懐しさに、無上に這入りたくなつて中に入り込んだ。庭には白い花が一ぱいに咲いてゐる。小菊とも思はれ、茨なんかの花のやうにも見えた。つひ(引用者注:「つひ」に傍点)目の前に見える櫛形の窓の処まで、いくら歩いても歩きつかない。半時もあるいたけれど、窓への距離は、もと通りで、後も前も、白い花で埋れて了うた様に見えた。彼は花の上にくづれ伏して、大きい声をあげて泣いた。すると、け近い物音がしたので、ふつと仰むくと、窓は頭の上にあつた。さうして、其中から、くつきりと一つの顔が浮き出てゐた。
身毒の再寝(マタネ)は、肱枕が崩れたので、ふつゝりと覚めた。
床を出て、縁の柱にもたれて、幾度も其顔を浮べて見た。どうも見覚えのある顔である。唯、何時か逢うたことのある顔である。身毒があれかこれかと考へてゐるうちに、其顔は、段々霞が消えたやうに薄れて行つた。彼の聯想が、ふと一つの考へに行き当つた時に、跳ね起された石の下から、水が涌き出したやうに、懐しいが、しかし、せつない心地が漲つて出た。さうして深く/\その心地の中に沈んで行つた。」

















こちらもご参照ください: 

川村二郎 『内部の季節の豊穣』
『伝奇ノ匣5 夢野久作 ドグラマグラ幻戯』 (学研M文庫)
内田善美 『星の時計の Liddell ①』 (全三冊)


























マリオ・プラーツ 『官能の庭 ― マニエリスム・エムブレム・バロック』 若桑みどり・森田義之・白崎容子・伊藤博明・上村清雄 訳

「そこは安心して心の内面にのみ目を向け、内なる声にのみ耳を傾けていればよい閉ざされた園であった。」
(マリオ・プラーツ 「G・B・バジーレの『お話のなかのお話』」 より)


マリオ・プラーツ 
『官能の庭
― マニエリスム・
エムブレム・
バロック』
 
若桑みどり・森田義之・白崎容子・伊藤博明・上村清雄 訳 


ありな書房 
1993年6月1日 第1版第2刷 
720p 
A5判 丸背紙装上製本 
本体カバー 函 
定価8,240円(8,000円+税240円) 
装幀: 浅野邦夫
 


本書「訳者あとがき」(若桑みどり)より: 

「本書は、Mario Praz, *Il Giardino dei Sensi: Studi sul manierismo e il barocco*, Milano, Arnoldo Mondadori Editore, 1975 の全訳である。」
「形式から言えば、これは主として一九五〇年代から七〇年代にかけて出版された書物をテーマ的にとりあげて、その書物の扱った事象の核心から周辺にいたるまでに考察を及ぼすというものである。多くの場合、それは書評のかたちをとっているが、その書物はきっかけにすぎず、これに前後して関連するその他の同テーマの文献資料に広く考察を及ぼしているので、結局のところ(中略)、スタンダードな研究史と文献資料の書になっている。
 この中でもっとも書評らしい文章といえば、それはバーナード・ベレンソンの『カラヴァッジョ』を酷評したものだが、それもベレンソンのカラヴァッジョ批評を辛辣にこきおろす恰好で、バロック解釈における権威主義に鉄槌をくだし、自らバロックへの新たなる視座を提示した優れたバロック論となっている。さらに、この本で扱ったテーマが意図的にバロックとマニエリスムに限定されているので、これは結局バロックとマニエリスムの入門書(中略)となっている。バロックとマニエリスムについてのもっとも優れた解説というべきであろうか。だがそれも美術に限ったことではなく、さりとて文学に限定されてもいない。それらを網羅しつつ、様式の根本における感受性の深みへと迫る試みである。」
「本書の特徴は、歴史的に言えばマニエリスムと分断されて論じられてきたバロックを、その不可避な連続性において扱ったという点にある。」
「なお、原著には基本的な図版が二五枚ほど付されていただけであるが、翻訳にあたってはこの豊饒なイメージの博物館の驚くべき様相を少しでも多く伝えようという意図から、記述されたイメージを可能なかぎり収録することにした。」



「原註/訳註」は二段組。本文中に図版(モノクロ)267点。






函。






本体カバー+帯。


帯文: 

「想像力と感性の愉悦が召喚する
綺想
という
イメジャリーのエロティシズム
の深層を開示するプラーツ美学の精髄」



帯背: 

「綺想とイメジャリー
のエロティシズム」 



帯裏: 

「未踏の漆黒の闇の中に、一条の光が差しこむがごとく、
無限の想像力と鑑識眼を秘め、ルネサンスからマニエリスム、
バロックへと至る美術表現と、その中に投影された
文学的レミニサンスのテクスチュアの中を、
縦横無尽、自在無礙に渉猟し、博捜し、連鎖する
不可視の苦痛/快楽する芸術的感性の輪郭を顕わにしつつ、
〈愛〉と〈魂〉のくねりあう官能の〈美〉を普遍的な相のもとに映し出す
壮大な叡知の業。」








目次: 

第一部 二人の先駆者 
 ヒエロニムス・ボスの〈奇妙な相貌〉 (伊藤博明訳) 
 一五世紀版ジョイス (白崎容子訳) 

第二部 マニエリスム研究 
 ルネサンスの秋 (森田義之訳) 
 マニエリスム批評の総決算 (白崎容子訳) 
 〈マニエーラ・イタリアーナ〉 (若桑みどり訳) 
 太り肉のヴィーナス (伊藤博明訳)
 ラビュリントス (森田義之訳) 
 マニエリスムの奇矯な彫刻 (上村清雄訳) 
 グロテスク (上村清雄訳) 
 ボマルツォの怪物 (白崎容子訳) 
 カプラローラ (森田義之訳) 
 フォンテーヌブロー派 (若桑みどり訳) 

第三部 ペトラルカからエンブレムへ 
 アルミーダの庭 (白崎容子訳) 
 イギリスのペトラルキズムとユーフュイズム (白崎容子訳) 
 バロック序説 (森田義之訳) 
 イギリスのバロック (伊藤博明訳) 
 探究者トマス・ブラウン (白崎容子訳) 
 G・B・バジーレの『お話のなかのお話』 (白崎容子訳) 
 エンブレム、インプレーザ、エピグラム、コンチェット (若桑みどり訳) 

第四部 一七世紀の芸術 
 曲線の礼讃 (森田義之訳) 
 ベルニーニの天啓 (上村清雄訳) 
 ルーベンス (伊藤博明訳) 
 カラヴァッジョ (森田義之訳) 
 グエルチーノと一七世紀の古典主義 (森田義之訳) 
 風景の発見 (森田義之訳) 
 ローマのフランドル画家たち (伊藤博明訳) 
 フランチェスコ・ピアンタの奇矯な彫刻 (伊藤博明訳) 
 逆光に見る一七世紀のローマ (若桑みどり訳) 

第五部 バロックの宇宙 
 バロックの都市プラハ (伊藤博明訳) 
 ボヘミアとシチリアのバロック (若桑みどり訳) 
 レッチェのバロック (森田義之訳) 
 メキシコの聖堂 (若桑みどり訳)
 熱帯のロココ様式 (伊藤博明訳) 
 サクロ・モンテの礼拝堂 (上村清雄訳) 
 官能の庭 (若桑みどり訳) 
 ズンボが造形したペストの風景 (上村清雄訳) 
 ウァニタス (若桑みどり訳) 

原註/訳註 
訳者あとがき――マリオ・プラーツについて (若桑みどり) 
索引
 



◆本書より◆ 


「ヒエロニムス・ボスの〈奇妙な相貌〉」より: 

「現代の人びとがボスもまたフロイトの先駆者の一人であることを発見するよりはるか以前に、フライ・ホセ・ド・シグエンサは一六〇五年にマドリードで刊行された『聖ヒエロニムス会の歴史・第三部』(*Tercera parte de la Historia de la Orden de San Geronimo*)で次のように書いている。「私の見るところ、この男[ボス]の絵とほかの画家のそれが異なっているのは次の点である。つまり、ほかの人物は常に人間の外観がどうであるかを描こうとしているのにたいして、この男は、そしてただ彼のみが人間の内面がいかなるものかを描こうという勇気をもっていた」。」
「ボスの場合、奇矯なものや幻想的なものにたいする彼の中世的な趣好に貢献したのはまた、特異でグロテスクなイメージを表わした護符が広範に流布していた原始や古代の文明であった。(中略)そしてまた原始と古代の文明が伝えられたからこそ、一三世紀を通じてヨーロッパに入りこんできた東アジアの影響という、いっそう異質なるものとの交配が起こり、この奇矯なものへの趣好が高まったのである。ボスの描く樹の姿をした悪魔たち、人間の姿をとった山や岩、これらは中国から伝来したものである。
 ボス、この時代遅れの人間、この田舎者の中に中世の幻想の精髄がなんとみごとに抽出されていることか。まさに彼を「時代遅れ」と定義することは、シェイクスピアを「時代遅れ」の中世演劇と定義するに等しい。このような様式と生の諸概念の深化はあらゆる時間を超越するのだ。中世世界はボスの中で至上の形式に達した。kれの絞首台、彼の拷問車、彼の火炎、はてしなく地平線まで続く彼の武装した軍団は、ボスの中世がマルセル・シュオッブが見た中世とはなはだ似ていることをわれわれに想い起こさせるであろう。ただし、疲弊した時代のピクチャレスクで残忍な光景を強調するシュオッブとちがって、ボスはむしろこれらの絵画に魂の普遍的な光景を明らかにし、それらを強調しているのだ。」
「夢の素材は特定のひとつの時代にほかの時代より多いということはなく、夢は永遠不滅の形態であり、神秘的なもの(ミスティカ)の幻視のようにたえずくりかえされる。チャールズ・ラムが書いている一人の子供のこと(『エリア随筆』の中の「魔女たちと夜の恐ろしきものたち」)が想いだされる。この子供は、迷信という汚れに染まらないように厳重に隔離され教育されたが、それにもかかわらず「次から次へと湧きでる空想のあれこれ」の中に、自らの内に慎重に隠蔽されつづけてきた恐怖に満ちたあの世界すべてを見いだしてしまうのである。「ゴルゴン、ヒュドラ、キマイラ――セレノやハルピュイアの身の毛のよだつ物語――は迷信を信じる頭の中にくりかえし生産される。というのもそれらはもともと存在していたのだ。それらは記憶に刻みこまれたものであり、ひとつの類型である。その元型はわれわれの内にあり、永久に存在する。そうでなければなぜ夢から醒めているときでさえ、現実のことではないとわかっている物語にわれわれは魅了されるのであろうか」。」

「〈自由霊運動〉を、どこでも見られる、背徳におちいった信仰運動のひとつだと決めつけても何も語ったことにはならない。」
「こうした神秘主義については、偉大なフランドルの神秘主義者ロイスブロークほど広範かつ細部にわたって解き明かし、心理学的にも神学的にも明晰な解説を加えた人はほかにいない。彼によれば、「信奉者こそ、己れの本質が空虚で盲目でしかありえないという単純なありようの中に我を失い、己れの本性を超脱しようとはせず、そのまま至福に達することを希求している。彼らはまことに単純であり、己れの魂の純粋な本質そのものと一切の媒介なしに直接的に結合し、そこには自ずと神が顕現するので、外面的にも内面的にも彼らには、神への熱狂も傾倒もまったく感じられない。というのも彼らがこうして神との合一を体験する宗教的な極致においては、彼らは神という本質の中に吊り下げられ、もはや己れの本質の単純なありよう以外には何も感じないからである。かくして彼らは己れの単純なありようと神の絶対なる単純なありようを摩り替え、その中で静寂そのものを享受し、そして己れの単純なありようの奥底では己れ自身を神とすらみなしているのである。したがって彼らには信仰も、希望も、真の慈愛も欠けている。そして事実彼らは、己れが追い求め、獲得したありのままの空虚な状態においてはもはや、知識も愛も所有しようとせず、あらゆる徳から解放されることを希求している。これらすべての結果として彼らは、たとえどのような悪行をなそうとも、良心の呵責なしに生きようと努めるのである。彼らは、秘蹟やもろもろの徳や聖なる教会の宗式などすべてを顧みることはない。彼らは、教会が不完全な人間に与えるものすべてに優越しているので、そのようなものは己れには必要がないとみなしているのである。……彼らにとって最高度の聖性は、あらゆることにおいて、一切拘束されることなく己れのありのままの衝動に従うことである。それは、内面では悪へと傾く精神を保ちつつ安逸に浸りうるように、また外面では身体の欲望を満たし肉欲を満たすようないかなる行為にも耽りうるように、想像力へとすばやく逃げ去りうるように、そしていつでも好きなときに精神の安逸そのものへと立ち返りうるようにするためなのである」。ロイスブロークは一四世紀の終わりごろこのように述べており、最後の部分はこのような行為に走った極端な人びとがいたことを示唆している。
 〈自由霊運動〉は二重の顔をもっている。敬虔でありながら悪魔的、高度に霊的でありながらいかがわしいほど放恣である。そしてこの二つの側面は互いに、それとはわからぬほどひそかに入れ替わる。主たるテクストは、マルゲリート・ド・ポレート(エノー伯爵領に一二五〇年ごろ生まれる)の『純朴なる魂の鏡』(*Miroir des simples âmes*)で、(中略)まさに神秘主義文学の中でももっとも美しいもののひとつに数えるに値する。」
「いったい『純朴なる魂の鏡』は何をわれわれに語っているのか。神の前で自己を無と化した魂は、善行なしに信仰によってのみ救済される。こうした魂は、天上であれ地上であれ神が創造した被造物の中にいかなる慰安も情愛も希望も抱かず、ただ神の善性の内にのみそれらを抱く。この魂はいかなる被造物にも乞うこともなく求めることもない。この魂は不死鳥(フェニックス)のごとく唯一無二の存在である。なぜなら、その魂は、愛の中で孤高の存在となり、己れ自身で充足しているからである。恥辱も名誉ももたず、貧困も富も、安楽も苦難も、愛も憎悪ももたず、地獄もなく天国もない。それはすべてをもち、そしてすべてをもたない。すべてを知り、そしてすべてを知らない。」
「事実、アダムのごとき無垢なる状態への回帰は、〈自由霊運動〉のひとつの特色であり、《悦楽の園》の三連祭壇画の中央パネルに刻印されているとフレンガーはみなしている。(中略)このドイツの批評家によれば、地獄を描いた右翼パネルには運動に加わらぬ人びとの責苦が表わされ、中央パネルには快楽が、罪深いものとしてではなく、それどころか左翼パネルに示された天国の無垢な状態への回帰として表わされている、という。」
「おそらくこの三連祭壇画の中でヒエロニムス・ボスは、自らの『被造物の讃歌』(*Cantico delle Creature*)を歌ったのだ。」



「ルネサンスの秋」より: 

「私はかつて、イギリス式のピクチャレスクな庭園(〈アルミーダの庭〉)に関連して、タッソの有名な詩句――「芸術は自然を、戯れながら慰みに模倣しているように見える」――やベン・ジョンソンが模倣したボンヌフォンのいくつかのラテン語詩(中略)、とりわけロバート・ヘリックの優美な小詩「無秩序の喜び」(Delight in Disorder)に注意を喚起したが、それはマニエリスムという不安な精神の思考の頂点にあるひとつのモティーフを指摘したかったからにほかならない。つまりこのモティーフとは、芸術表現に多様性(ヴァリエタ)、運動性(モヴィメント)、《不一致の一致(ディスコルディア・コンコルス)》を導入し、ジョルダーノ・ブルーノが「宇宙の可逆的転換」と呼んだものに形象を与え、「小心翼々たる入念さ」に「気高い無頓着」を優先させると同時に「規矩を逸脱した優美さ」を獲得しようとするモティーフのことである。ミメーシスの概念、つまりルネサンスに支配的な自然の模倣としての芸術の概念は、実際には「止まれ、汝は美しい」なるポーズとして固定された静止的な世界を前提としていたが、いまや一六世紀になると、心の内面でとらえられた世界のイメージは静止的どころか絶えまない変転にほかならない、とする理念(イデア)が生みだされる。(中略)そこから芸術家にふさわしいのは、単なる自然の模倣から解放された表象としての、すなわち自律的な噴出によって紙の上に投影された創意としての「内的ディセーニョ」(disegno interno)である、とみなされるようになった。」
「この「内的ディセーニョ」は、夢の中におけるように、現実に由来するさまざまな要素と魂の内奥から湧きあがるさまざまな要素を入念に組みあわせるものであり、要するに、自然の生成のプロセスと肩を並べ、それと競いあいながら、新しい形態を次々と創造していく生成のプロセスなのである。」



「ラビュリントス」より: 

「それではラビュリントスの神話がそもそも担っていた聖なる機能、宗教的エネルギーとはどんなものであろうか。(中略)ラビュリントスは元型的象徴であるが、ではいったい何の象徴なのであろうか。「とぐろを巻く内臓のような」バビロニアのラビュリントスは胎内を暗示し、その洞窟との関連は明らかに女性の性器(中略)を暗示している。」
「いかなる文明世界においても(中略)、ラビュリントスの旅は洞窟の表象と結びついている。謎に満ちた洞窟世界ではしばしば、その入口近くに年老いた女性――死の番人「母」――がいる。それは『アエネイス』のクマエの巫女(シビュラ)であり(中略)、ゲーテの『ファウスト』の「大地の母たち」である。洞窟は、女性の性器であるだけでなく、母の胎内であり、子宮であり、「そこから出発し、そこへ向かう、半ば無意識の無化のノスタルジアが到りつく確固とした場所」である。(中略)洞窟とラビュリントスは通過儀礼が行なわれる場所であり、予備的試練の場所なのである。あらゆるラビュリントスには聖なる中心があり、そこにはとらえがたい神秘がたちこめている。(中略)要するに中心には常になんらかの神聖なもの、あるいはミノタウロスのような怪物が見いだされるのであり、そこには無意識あるいは半ば無意識の罪や渇望、そして夢や悪夢が堆積している。人間はしばしばそこに自分自身を見いだす。まさにこの理由でラビュリントスの奥には鏡が置かれることが多いのである。探索の果てにたどりついた神秘、隠された神あるいは怪物は、人間そのものなのである。」



「探究者トマス・ブラウン」より: 

「サー・トマス・ブラウンの直系の後継者の中に、並外れたフモリストであるチャールズ・ラムがいるのは興味深い。(中略)ラムの「不完全な同情」や「魔女やその他の夜の恐怖」といった随筆のあるものは、あたかもブラウンの著書の欄外に書きこまれた注釈のようなものである。たとえばラムの魔女論は以下のとおりである。 

  ゴルゴン、ヒュドラ、キマイラ――セレノやハルピュイアの身の毛のよだつ話――は迷信を信じる頭の中にくりかえし生産される。というのもそれらはもともと存在していたのだ。それらは記憶に刻みこまれたものであり、ひとつの類型である。その元型はわれわれの内にあり、永久に存在する。」



「バロックの都市プラハ」より: 

「チェコスロヴァキアのディイェ河流域の原始林におおわれた湿地には白鹿が棲んでいる。この動物は臆病で人前に姿を見せないので、この場所を訪れる人びとはその存在に想いをめぐらせるだけで満足しなければならない。(中略)しかしこの珍しい動物と出会う幸運に恵まれなくても、この森はもうひとつのかけがえのない経験を秘めている。この森は、物質の変容という法則を学ぶことのできる、世界でも四、五箇所しかない場所のひとつなのだ。木の葉は落ちるがままに、腐敗し、新たな生命へと変化する。この森は、ペネロペの織る、解かれてはまた紡がれる布地のような一枚のつづれ織り、「自然界の緑そのもの」であり、斧がその幹や枝に触れることはけっしてない。それは、生命を生みだす温床であり同時に生命が朽ちる褥でもある。この移りかわりこそ、プラハという比類のない都市の運命を象徴しているのだ。」


「官能の庭」より: 

「人物像を描くことをほかの画家に任せたほど、ブリューゲル(訳注: ピーテル・ブリューゲル(父)の次男。ミラノの大司教フェデリコ・ボッロミーニの庇護のもとに制作した。細密描写と微妙な色彩表現をもって花や動物を描いた作品も多い。「花のブリューゲル」「ビロードのブリューゲル」「天国のブリューゲル」とも呼ばれる。)は人間にはほとんど興味を抱かなかった。人物像を描くことは、ブリューゲルがそこへ身を潜めることを願っていた事物の世界から彼を引き離しかねなかったからである。」


「訳者あとがき」(若桑みどり)より: 

「プラーツには別れたイギリス人の妻と娘がいるが、友人への書簡の中で彼は、イルカと小さいアモルのついたアンピール風の書きもの机ほどにいかなる人間をも愛することができない自分を嘆いている。たしかに彼にはフィレンツェ時代に甘美で苦い恋愛経験があり、家族もいたし友人や弟子も数多いにもかかわらず、本質的に倒錯した世界の、おそらくは他者と隔絶した想像力の世界の住人であったと言うことができるだろう。」








こちらもご参照ください: 

マリオ・プラーツ 『記憶の女神ムネモシュネ』 前川祐一 訳
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うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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Away with the Fairies

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好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、土方巽、デレク・ベイリー、森田童子。

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歴史における自閉症の役割。

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